キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

アルコール依存症って、どんな病気?

 こんばんは!バイクです。

 最近、アルコールのみならず、いろんな依存症のかたのニュースが出たりしますね。

 薬物の清原さん、田代さんも、対象は違え、同じ病理に苦しむ、おなじこころの友達です。

 ワイドショーでは、「依存症は病気ですから。」という理解ある報道をしてくださったりしていますが、そこから先はあまり解説されていません。

 

 で、バイクなりにチャレンジさせてください。

 現代医学をはなれた「私見」もちょっと入ります。

 

 まず、基本的に、すべての依存症のかたは、同じ病理に苦しんでいるんですよ。

 アルコールも、ギャンブルも、薬物も、買い物も、恋愛も、仕事も(恋愛依存、仕事依存なる疾患もあります。)、摂食障害リストカットも。

 

 その背後にあるのは、僕たちの、こころも、からだも、ふつうじゃない、ということなんです。

 依存症者は、精神的にも、肉体的にも、ほぼ不治の病におかされているんですね。

 これをお医者さんは、精神的依存、肉体的依存、なる言葉で呼んでいます。

 以下、アルコール依存症を例にとって説明させていただきます。

 

 まず精神的依存。

 これは、最近の病理で言うと、脳の障害だとも言われています。

 だれしも、お酒を飲むと気持ちよくなる。

 これは、主にドーパミンという脳内物質が出て、気持ちよくさせているのですが、依存症の人は、これが強烈に脳にきざまれていると思ってください。

 たとえば、パチンコ、競馬の好きな方、当たったときの、「やったー!」と言った状態。

 しっかりドーパミンが出ています。

 また、念願の品物をついに買った。「やった。買ったー!」

 これもドーパミン出ています。

 これらの、気持ちよい感覚が、脳にプログラミングされてしまった状態が、「精神的依存」と思ってくれればいいです。

 この快感は、普段は無意識の底にしまわれていますが、ストレスがが強くなったとき、精神的に追い詰められたときなど、ふと思い出されるのです。

 「ああ、ちょっとリラックスできたらなあ。」という感じ。

 この、無意識からくる魔力に、抵抗できないケースがものすごく多いです。

 

 で、身体的依存です。

 普通の人は、そこそこ飲めば、ま、という感じで切り上げられますが、依存症の人は、物の見事に、これができないのです。

 いったんお酒を体に入れると、途切れません。

 そういう身体になってしまっているのですね。

 意志が弱いのではないです。

 よく、「杯数を決めて飲めば?」とか、「意志でやめろ。」といわれますが、いったん飲むと、体が反応してしまって、自力では切れない状態になります。

 その究極が、「連続飲酒発作」と呼ばれていて、もう、こころでは飲みたくなくても、やめれない。一週間でも、十日でも、身体が受け付けられなくなるまで飲み続ける。その間に死亡するひともいます。

 例は悪いですが、覚せい剤中毒のひとに、「意志をしっかり持って、覚せい剤は一日二本と決めておいて。三本目からは意志の力でやめて。」というようなものですね。

 

 この二つ。

 精神的依存。身体的依存、が依存症の中心的病理です。

 精神・肉体両方にまたがった病気なんです。

 

 さらに、ちょっとこわいことですが、死亡率。

 入院治療を受たひとで、退院後一年に断酒継続できている人は、10%くらいです。

 おおざっぱすぎる話ですが、9割は死ぬ計算ですね。

 

 が、これはちょっと昔の統計です。

 今は、依存症一般の知識が人口に膾炙し、退院後も通院して治療を継続する人も格段に増えてきました。

 ほかの依存症も同様です。

 たとえば、ギャンブル依存症

 7、8年前のギャンブル治療グループって、ほぼ全国どこも、参加者は家族だけでした。

 会場にいるのは奥さんだけ。って光景も珍しくありませんでした。

 が、現在は、ギャンブル依存症にたいする社会理解が広まって、当事者の(旦那さん?)も参加する人も格段に増えてきました。

 以前だと、「俺をきちがいあつかいにするな!」だったのが、

 「おれのパチンコ(あるいはマージャン)は、どうやら病気で、治療がひつよんらしいな。」

 みたいな社会意識になって来たんです。

 

 すべて精神疾患は、社会的病気だと、バイクは考えています。

 今の勢いで、認知が豊かになって行けば、依存症治療の将来は明るいんじゃないかと、楽観しています。

 

 バイクでした。