苦しんだあとの最後の祈り
こんばんは、バイクです!
昨日、アルコールでの危機を、友に助けられて、一夜明けました。
まだ疲れが少し残っているようで、教会のミサが終わったあと、ずっと今日は横になっていました。
とろとろと寝ても寝ても、まだ眠かったです。
が、ついさっき目覚めると、疲れは癒えていました。
さっそくちょっとたまっていた洗いものをかたづけ、明日収集の燃えないゴミをしばる。
すっきり。
こよい、あとはお風呂はいって洗濯するだけですよ。
そんななかで、祈りということを考えました。
9月以来のバタバタで、いつしか狭くなっていたぼくのこころは、「恐れ」を生み出し、それから逃れようとして、僕は飲酒ににげたのだ。
もっと広い、解放されたこころと、他者への祈りが必要だ。
ちっぽけな自分をこえて・・・・・。
ここで、「神」という言葉を使ってしまうと、日本ではアレルギーを起こす人がいるので、ノンクリスチャンにも通ずる表現で言うと、
人間の知性を超えた、宇宙の製造者。
地上の全てのものを慈しんでいる、存在そのもの。
遠い昔、人間に愛するということを教えた方。
と言いましょうか。
そう言った唯一絶対の存在が、ひとりひとりの人間、生き物を慈しんでいる、と僕は信じているのです。
主よ、私の自由をあなたにささげます。
わたしの記憶、知恵、意志をみな受け入れてください。
わたしのものは、すべてあなたからのものです。
いま、すべてをあなたに捧げ、みむねにゆだねます。
わたしに、あなたの愛と恵みをあたえてください。
わたしはそれだけで満たされます。
それ以上何も望みません。
天のきさき、おとめマリア。
わたしは、あなたのとうといご保護にすべてを委ね、
生涯のすべての日々、
とくに臨終の時に、わたしの身も心も、
慈しみ深い御手にゆだねます。
わたしは、すべての希望と喜び、困難と悲しみ、
一生と最期をあなたにささげます。
御取次によって、わたしのすべての行いが、
あなたと御子のみむねにかなうよう、導いてください。
こよい、すべてがよくありますように。
すべての人が、よくありますように。
もしわたしの敵がいても、かれらもまた、しあわせでありますように。
かれらの家族も、こよいしあわせでありますように。