変わりたい朝の遥かな祈り
今日で4月も真ん中。
僕たちの世界が本格的にひっくりかえってから半月がたとうとしています。
つらいかた、いっらっしゃいますか?
僕はつらいです。
社会がすこし、みにくくなってつらいです。
うちの県では、感染者さんの家に、落書きがされたりしています。
みんながじぶんのこころに、いつもはなかった「恐れ」をもつようになっています。
そんな社会になっていくのがつらいのです。
しかし、恐れは、まず僕のこころの中にありました。
きのう、祈りの時に、気づきました。
気がついたら、一番つらかった時の祈りを祈っていました。
初めてアルコール・薬物専門病棟に入ったとき、
祈った祈りを祈っていました。
主よ。
私の自由をあなたに捧げます。
私の記憶、知恵、意志をみな受け入れてください。
私のものは、みなあなたのものです。
今、すべてをあなたに捧げ、み旨にゆだねます。
私に、
あなたの愛と恵みをお与えください。
わたしはそれだけで満たされます。
それ以上、何も望みません。
天のきさき、おとめマリア。
私は、あなたの尊いご保護にすべてを委ね、
生涯のすべての日々、とくに臨終の時に
わたしの身も、心も、
いつくしみ深いみ手に委ねます。
私は、
すべての希望と喜び、
困難と悲しみ、
一生と最期をあなたに捧げます。
御取り次ぎによって、
わたしのすべての行いが
あなたと御子のみ旨にかなうよう、導いてください。
神さま、
わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を
いさかいのあるところにゆるしを
分裂のあるところに一致を
疑惑のある所に信仰を
誤りのあるところに真理を
絶望のある所に希望を
闇に光を
悲しみのある所に喜びをもたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを
理解されるよりは理解することを
愛されるよりは愛することを
私が求めますように。
私たちは、
与えるから受け、
ゆるすからゆるされ、
自分をすてて死に、
永遠のいのちをいただくのですから。