キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

ユダの願いをこえて

 みなさんこんばんは。バイクです。

 実は今日は2000年前、キリスト12弟子のひとり、ユダがキリストを裏切った日なんですよ。

 

 世界史の中でも有名なお話ですね。

 しかし、なぜユダがイエス・キリストを裏切ったのかは、2000年たった今も、まだ定説はないんです。

 ところが僕は、キリストを裏切ったユダを、友と思っています。

 ユダと同じ人生を歩んできたと思っているのです。

 

 定説がない中で、ただ一つ僕が信じていること。

 それは、ユダが、絶望していた、ということです。

 

 では、ユダはなぜ絶望したか?

 

 イエスの人生の終わり近くは、失意の日々でした。

 12使徒ぐらいを残して、多くの人々がイエスを去っていったからです。

 このことは、『ヨハネ福音書』という書物に詳しいです。

 

 後に残ったのは、イエスと12人。あとマグダラのマリアくらい。

 この人数で、イエスユダヤ中をさまよわねばならなかったのです。

 

 この中で、ユダは絶望しました。

 自分の理想ゆえに。

 

 ユダは、本当に人間が幸せに暮らせる国をつくりたいと、誰よりも強く思っていたと、僕は勝手に思っています。

 

 だからこそ、その願望が閉ざされた時、ユダは誰よりも強く絶望した。

 

 人間はいろいろな思いで生きています。

 が、これら人間の願望は、苦難などによって、時としてくずれさってしまう事があるのですね。

 民衆に見捨てられたイエスたちの中で、ユダの願望はくずれさったのです。

 それで、師イエスを死に追い込むきっかけをつくってしまいました。

 

 と、こんなことを書くのも、最初に書かせていただいたように、僕はユダみたいだったからです。

 僕は、良いコースに乗って、恵まれた人生を送るつもりでした。

 が、種々の出来事から、コースをあきらめなければならなかった時、僕は人生を失うようなことをしてしまったのです。

 そして、大切な人を裏切りました。

 願望だけで生きている人間は、善き願望であっても、それが閉ざされると、もろいです。

 

 

 ・・・・それでは、死に追いやられたイエスはなぜ絶望しなかったか?

 それは、彼が神から与えられた使命を生きていたからだと僕は思います。

 

 自分の殻を超えて、世界に何かを与えること。

 何かのために生きること。

 

 その手本が僕にとってはイエスなのです。

 自分を超えて、人類を見、友を見、神の愛をいつも見ていたイエス

 そのイエスには、状況がどうあろうと、世界がどうあろうと、苦難を超えてやるべきことがありました。

 

 こんなイエスを模範としている限り、僕も絶望から離れていられると信じています。

 ひとでなしだった僕ですが、今は、すこし自分をこえて、友とか、社会とか、愛とかを、ちょっとだけ見れるようになりました。

 

 なにかのために生きていたいです。

 

 今、コロナという苦難が、人間を襲っています。

 多くの人から、こうあってほしいという願望を奪っています。

 しかし、それよりもすてきなものが人生にはあると僕は信じたいです。

 

 どうか苦難と混乱の中、すべての願望が閉ざされても、負けないでくださいね。

 

 バイク。