キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

1分だけ、時間をください。

 「万一、万一ですよ。もしかしたら、もうお伺い出来なくなることも、あるかもしれません。」

 昨日、訪問看護の終わりに、僕の敬愛するT看護師が言いました。

 ステーションの看護師さんのうちで感染者が出たら、活動ストップもありうるというのでした。

 「えーっ、僕などはまだいいとして、のどに管入っているお年寄りなんかは?」

 「そういう方は、他の訪看そしきに紹介になると思います。」

 「そうですか。ほんとにお気をつけてお仕事なさってくださいね。」

 

 僕は、訪問看護さえ万一の時は止まるということよりも、

 看護師さんたちが、いかに毎日危険とリスクの中で、看護にいそしんでいるかを感じて、感謝の念が不安に打ち勝ちました。

 

 今、巷では、感染リスクと戦いながら、職務をまっとうしている人々を「最前線の人」と呼んでいます。

 T看護師との訪看のあと、あらためて「最前線の人」の存在を感じました。

 

 僕の周りの最前線の人。・・・・

 いきつけのスーパーマーケットのキャッシャーさんたち。

 食料の供給は、最後まで止まるわけにはいきません。

 スーパーは、最後の職業でしょう。

 鉄道のかた。

 Tさんを初めとする医療従事者たち。

 

 こういう人らに支えられて、僕の生活はある。

 これから毎日、まわりの最前線の人たちの無事を祈っていこうと心に決めました。

 

  ここで、お願いがあります。

  ずうずうしいお願いですが、みなさんも、最前線の人に祈っていただけませんか?

 

 祈りなんかしたことないし、できないよ、という人も大丈夫です。

 紹介させていただく祈り方は、簡単にして明快!

 まわりの、大切な人が光に包まれる、しあわせになるような光景を脳裏に思い浮かべて、○○○○とだけ唱えればいいのです。

 

 カトリックでは、大切な人の面影を想いながら、「主の祈り」や「アヴェ・マリア」を唱えますが、「南無阿弥陀仏」でも、「南無妙法蓮華経」でもなんでもいいのです。(お前はそれでもクリスチャンか笑)。

 自作の言葉でいっこうに構いませんん。

 「無事でありますように。」

 「がんばれますように。」

 「守られますように。」

 こころこめられる何の言葉でも構いません。

 

 イメージするのだって、うまくかなくてもいいです。

 祈りごころひとつあればいいのです。

 自分のまわりの最前線さんを思い浮かべ、愛をこめてつぶやいてみてください。

 

 これだと、一人のひとに祈るのに、5秒です。

 と、一分あれば、12人のひとの無事を祈れます。

 

 

 

 一日のうち、1分だけ、時間をくださいませんか。

 

 

 

 バイク拝。