葱をわたし合いましょう!
こんばんは、バイクです。
非常事態宣言が発令されることが決まりましたね。
東京、埼玉、千葉、神奈川、大阪、兵庫、福岡の人のために祈ります。
どうかみなさん、守られますように。
今日は其れに負けない、元気が出るお話です。
みなさんは『一本のネギ』というお話を知っていますか?
日本人なら、「ああ、あのお話!」とみんなわかると思います。
それは、こんなです。
地獄に苦しんでいる一人の女がいました。
しかし神さまは、この女が生前、ただ一度だけど善行を行ったことをご存じだったのです。
苦しむ女をあわれ思った神さまは、天使に命じて一本のネギを天国から地獄に垂らしました。
「このネギにつかまって、天国へ上っておいで。」
ということです。
女はネギをつかみました。そして天国を目指しました。
ところが、女が振り返ってみると、ほかの地獄の亡者どもがネギをつかんで昇ってくるではないですか。
そこで女は言いました。
「このネギはあたしのものよ。」
女がそう言った瞬間、ネギは切れました。
これは、ロシアの文豪、ドストエフスキーの遺作、『カラマーゾフの兄弟』に出てくる挿話です。
「なんか芥川龍之介の『クモの糸』のパクリじゃない?」という声が聞こえてきそうですが、書いたのはドストエフスキーのほうが先です。
芥川の「クモの糸」。ドストエフスキーの「一本の葱」。
似ているようでちょっと違いを感じます。
クモの糸が結構貧弱で、はかなげで、救済を信じられない芥川の心象を感じるのに対して、ドストは強い救済を信じていますね。
またクモの糸の近い道が、天から地上に上下に垂らすしか使い出がないのに対して、一本の葱は、地上で、大地で水平に、同じ目線で、人間同士で渡し合うことができるのです。
クモの糸は、細すぎて引っ張れないけど、ネギは、力いっぱい引っ張れる。
クモの糸は、苦しんでいる人が昇ってくるのを待つしかありません。
が、一本の葱は、自力で立てない人でも、こちらから引っ張って助けることができるのです。
そして、一本の葱は、大地のあるところ、ふんだんに生えています。
もしもみんなが、倒れている人にネギをわたし合ったら、人類はもうちょっとしあわせになるのではないでしょうか。
また、ねぎで助け起こされることがあったら、あいている手で、別の人にネギをわたすのは素晴らしいことですね。
ロシアの大地と民衆のちからを信じていたドストエフスキーは、この話をやはりロシアの民話からとったのでした。
ねぎは、大地から生まれる生命力の象徴かもしれません。