平和の王が来た日
みなさんこんにちは。バイクです。
今日は日曜日なのですが、ローマ・カトリック教会は先月なかからミサが中止になっています。
これは、日本の教会だけでなく、フランスも、ポーランドも、ブラジルも同様らしいです。(バチカンですらお休みですものね)。
キリスト教最大の教派であるカトリック教会が復活祭を祝わない!
これは2000年の歴史の中でかつてなかったことです。
実は今日から、『聖週間』という、キリスト最後の日々をしのぶ典礼が始まる予定だったのです。
今週のなかで、キリストは、エルサレムに入城し、殺され、復活しました。
水曜日がユダが裏切った日、木曜日が最後の晩餐の日、金曜日が十字架の日。
そして今度の日曜日が、復活の日。
ここで、どういう格好でイエスはエルサレム入りをされたかと言うと、
この、世界の王、人類の救世主は、
馬と強大な隊列ではなく、
小さな子ろばに一人乗って、静かに聖地に入られたそうです。
これがどういう意味を持っているかと言うと、これはキリスト生誕約5世紀まえに、ユダヤ民族に神から預言されていた出来事に由来します。
旧約聖書に『ゼカリヤ書』という書がありますが、そのなかに、
平和をもたらす王が、高ぶることなく、小ロバに乗って到来する光景が描かれています。
そしてこの、平和の王の到来は、将来エルサレムにおいて実現すると書かれているのです。
まことに、人類を救う王は、強大な軍隊ではなく、豊かな富でもなく、強い政治力でもなく、現実に苦しんでいる小さな一人一人の人間と同じ格好をした神人でした。
かれは、苦しんでいる人、虐げられている人と同じ位置に立たれました。
ここに、神の意志があります。
神は、宇宙の主であるまえに、虐げられた人、苦しんでいる人、貧しい人の神だったのです。
わたしたちも、神にならって、苦しんでいる人、悲しんでいる人へのあたたかな眼差しを忘れないでいたいですね。
2000年前の今日、エルサレムの住民は、自らの服と棕櫚の葉を道に敷いて、そんなキリストを迎えたのでした。