キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

コロナウィルスを超える

 こんばんは。ほんとうに本当に御無沙汰しています。

 バイクです。

 どうしても書かせていただきたいことが、あります。

 

 きっかけは、コロナウィルス感染者の方への、クリスチャンの友達の言葉でした。

 わが県で最初の感染者の方が出た時の彼女の言葉でした。

 僕の家の近くの工場の従業員さんが感染されたのですが、彼女はニュースを見るなりこういったのです。

 

 「ああ、その人、誰からも見捨てられてつらい思いをされているから、その従業員さんのために祈らなくてはね。」

 

 その言葉に、僕は恥じました。

 わりと近くだったことで、ちょっと脅威、また恐怖すら感じていたのですが、ああ、そういう心の持ち方もあるなんだ、と思った瞬間、こころの脅威は消えました。

 

 それからいろいろな事を考えましたが、一番大きかったのは、感染者のうち、回復している人は15万人もいる、ということです。

 現在、罹患者は80万人。

 そのうちの四分の一ちかくの回復した人がいるのです。

 

 感染拡大を防ぐ努力は、本当に大切なことです。

 が、それと同時に回復者を受け入れる社会づくり、社会意識の形成がこれからとても大事になってくると思うのです。

 

 現在の感染の勢い。

 しばらくはコロナウィルスがいる世界で生きざるを得ません。

 

 それで、この世界を受け入れるとともに、回復者も温かく受け入れていく姿勢が必要だと思うのです。

 感染者のかたへの、温かい社会の目が問われていると思うのです。

 

 これは、亡くなったかた、または遺族のかたには通用する意見ではありません。

 遺族の方、本当にごめんなさい。

 

 が、コロナに感染しても、決して人生や生活が終わりではないことを、社会が保証すすれば、社会の空気は変化していきます。

 励まされて闘病できるような、還るところを信じれるような社会に。

 

 コロナのいる世界で、人類が意味を見失わなくてもすみますように。

 

 バイク拝。