最後の晩餐と新しい契約
みなさん、こんにちは。バイクです。
復活祭がちかづいた今日は最後の晩餐の日です!
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ごめんなさーい。?のひと、多いでしょうね。
最後の晩餐とは、イエスキリストが、十字架にかかる前の晩、弟子たちとともにした最後の会食のことなんです。
そして、この席で、神と人間とのあいだに新しい契約が結ばれたとされています。
現在もキリスト教会では、「聖餐式」、「ミサ」という名で、パンとぶどう酒をもってこれを記念する食事式をとり行っています。
???
契約?新しい?古いのは?
???、来ますね。
あわてず、古い契約とは。
歴史で習われたかもしれませんね。
古代エジプト時代、モーセに率いられたイスラエルの民が、約束の地へと過ぎ越していったあの出来事ですね。
映画で、海がぱーっと割れるやつです。
この時、僕たち人間に、十戒が与えられたのです。
十戒。
人間が生きていくための最小限といっていい決まりです。
社会をつくる源泉です。
国家の基礎をなす定めです。
と言っても、むつかしいものではなく、
「殺すなかれ」、「盗むなかれ」、「姦淫するなかれ」、と言った、人間同士が生きていくための、最低限といっていい気まりです。
僕の指導教授だったドイツ語の先生は、上の三つだけを守るだけでも、人類に平和が訪れる、とおっしゃっていました。
が、歴史を見ると、このうちの一つも人類は守れないじゃないか。
「殺すなかれ」、「盗むなかれ」、「犯すなかれ」、「偽証するなかれ」。
これらが守れないために、命を奪われたり、苦しんだりする人間の涙で地球は埋まっているじゃないか。
それで、神さまは、新しい契約が必要だと考えられたのですね。
では、その新しい契約とは? どこが新しいのか?
まず、新しい契約とは、食事なんです。
パンとぶどう酒をみんなで食べる式に象徴されるような、
みんなで分かち合う、いのちの分け合いなんです。
古い契約のごとき、法律の条文ではありません。
パンは、十字架上で裂かれたイエスのからだです。
ぶどう酒は、十字架上で流されたキリストの血なのです。
現在も、教会はこれを祝っています。
食をとおして、もとはひとつのキリストのいのちを、20億以上のクリスチャンが分け合っている。
そしてキリストの体によって人類が一つになっている。
新しい契約のこころは、こんな、食事のかたちをとってあらわされる、神と人間との分かち合いなんです。お祝いなんです。
うーん、ノンクリスチャンのかたにうまく伝わったかなー?
わかりにくかったらごめんなさいね。
おそらく、最後の晩餐を記念する、「聖餐式」という教会の式を見たことのない方には、超わかりにくかったとおもって、申し訳ないです。
とにかく、これが、イエスによって世界がたてなおった、新約の世界なんですよ。
コロナが終わったら、まず「新しい食事」がしたいですね。
そして、みんなとつながっていることを確かめたい。
この基礎をなす十字架については、明日、書かせていただきますね。
神が命じた、あたらしい契約は、教会の儀式のみならず、分かち合うことによって、日常の世界でも味わうことができますよ。
それが、イエスが最終的に望んだことなんです。