キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

日本的神さま?

 こんばんは、バイクです!

 

 昨日、ちょっと自助グループのことを書かせていただきました。

 毎回、いろいろなテーマで話ことがありますが、こんな時もありました。

 

 「自分を超える大きな力って何だろう?」

 「自分なりに理解している神さまってなんだろう?」

 

 みんな、よく考え、自分の言葉で話され、大変勉強になりました。

 

 面白いのは、こんな意見が多かったことです。

 「やっぱ、人だよ。」

 「仲間だなあ。」

 「人と人とのつながり。」

 

 中には、「バイク。おまえかたくなに神さんなんか信じず、人を信じなあかん。人間なんや。」とからむおっちゃんまで現れました(笑)。

 

 人。つながり。仲間。

 日本人が、自分なりに理解している神って、これかもしれませんね。

 人格神だけが神ではありません。仏教のダルマ(法)。道教のタオ(道)。なども広ーく、(人々のよりどころとして)、神さまみたいなものじゃないかと思っています。

 

 そういう意味で、日本人がよりどころとしている、「人」。「つながり」。もそれのうちに含めていいのかも

 

 そうした社会をささえる道徳は、みんながこころを合わせて作ったきまり、なのでしょう。

 しかしその夜、ベッドの中でバイクは、からんできたおっちゃんに少し腹を立てていました。

 で、ちょっと「日本の神さま」に文句をつけました。(笑)

 

 「みんなの和を破るときでも、人をたすけなければならない時ってあるよ。」

 「人を愛することって、共同体の利益よりも大切じゃない?」

 「みんなで決めたことを守る生き方より、人間らしく生きるほうが大切だよー。」

 

 などと、めちゃくちゃ言いがかりをつけてしまったのですが(笑)。こわい(たとえば)ユダヤの神さまみたいな罰は下りませんでした(笑)。

 

 それにしても、僕は日本人であり、クリスチャンであります。

 ふたつのアイデンティティを持っています。

 この二つを調和させる生き方を模索しています。

 また、これが相反する事態になったときなどどう生きるかも。

 

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アルコールを打ち倒す言葉!

 こんばんは。バイクです!

 今、AAA(仮称)のミーティングから帰ってきたところです。

 AAA(仮称)とは、アルコール依存症自助グループ

 アルコールから立ち直ろうとする仲間が集まって、経験とちからを分かち合います。

 

 一人一人が、これまでの苦しい人生や、人にかけた迷惑、新しい希望などをたんたんと語り、みな、他の人の体験談を心を込めて聴きます。

 すると、いつしかみんなアルコールや失敗した人生から見事に立ち直っていくんです。

 

 なぜか?

 それにこたえる前に、依存症というのは、アルコールのみならず、自助グループができるまでは不治の病だったのです。

 何年閉鎖病棟に閉じ込めておいても、退院するとまた飲んでしまう。

 そうしているうちに、体や脳をこわして死んでいく。

 かならず死にいたる進行性の病気だったのです。

 

 ところが、AAA(仮称)、断酒会などの自助グループが、病院のやれなかったことをやったのです。

 自助グループのミーティング、断酒会の例会が、ちから、を持っていたからでした。

 人と人とのつながり。

 これがもつ大きな力が、近代医学という「科学」からこぼれていたのですね。

 

 また、医学が見落としていたものは、もう一つありました。

 アルコール依存症という病気を治すのをがんばっていた医学は、患者の人生を回復させることは、考えもつかなかったのです。

 患者さんは、病にも病んでいたけど、病の背後の「人生」も病んでいたのでした。

 

 このように、人のつながりという、大きな力の中で、自分の人生の病んでいた部分を語っていくと、いつしか人生とこころは「健康」をとりもどしていくのでした。

 

 そこで最後に問題です。

 「大酒のみ」と「アルコール中毒」のちがいは?

 これはバイク個人の考えですが、やはり、人生が病んでいるかどうかでしょうね。

 海を飲み干すように飲む人でも、そのひとの人生が健康だったら、ただの「大酒のみ」です。

 では。

 そんなに目茶目茶飲まない人でも、お酒の背後で人生が病んでいる、お酒なしでは自分の人生を解決できない人は、ご用心ですね!

 

 しかし、コケても自助グループがありますから大丈夫ですよ。

 今日もいい体験談をできました。

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久々にパニックおこしました!

 みなさん、こんばんは。バイクです。

 今日はちょっと参っているので、色なし、画像なしでごめんなさいね。

 

 すでにご存じのように、僕は自閉スペクトラム症です。

 で、いろいろある自閉症の特性のなかでも、「パニック」、が僕の最大の障害です。

 

 パニックは、自閉症児にかなりの頻度で見られる障害ですが、その多くは、

「予想できなかったこと」、

「想定外のこと」、

 に遭遇したときにおこることが多いです。

 

 今日は、病院に行ったら、予診が30分遅れて、さらには担当の看護師さんではなくて、遅れた時間ゆえに、今日の予定がドミノ倒しで狂ってきて、予想つかなくなってきて、ほんで(なまってきた笑)、調剤薬局ではいつもの薬剤師さんではなくて、そいでね、薬の在庫がなくて、あとで薬とどけてくれることになって、案の定、約束のガス屋さんとに遅れてしまって、そしたらとどめで、ガス屋の営業の人も違う人だった、というわけでした。(笑)

 

 と、定型発達者(健常者)ならなんでもないこと思いますが、障害のツボにはまると、僕は、(というか自閉症の仲間も)ものの見事に弱いのです。

 

 これは、なぜ起こるかと言うと、

 「未来を想像する能力が低い」

 ことから起こります。

 想定外のことが起こった場合、ノン自閉症の人のように、事態がどう転ぶか予測・想像することが、超苦手なのです。

 

 そこで、大抵の自閉症児が、どう対処するかと言うと、

 「こだわり」、

 を応用する子が圧倒的に多いです。

 

 いつもと同じ日課、いつもと同じ通勤路、いつもと同じ電車の席、いつもと同じ朝ごはん(イチローのカレーを見よ!)、といった具合なのです。

 で、これらが崩れると混乱する子が多いです。

 僕の同僚は、いつもの道が通行止めになっていたことでパニックを起こした子がいます。

 

 こう説明すると、今日の僕のまいっちんぐはお分かりいただけたこと思います。

 

 これは、脳の発達の障害なので、基本的にいかんともしがたいです。

 同じ日課を心がける。

 変更の時は、なるべく早く知らせてもらう。

 など工夫して、補い、付き合っていくしかありません。

 

 しかし、生活を工夫したり、環境をかえたりして、障害をおぎなっていくのは、楽しいことです。

 

 それにしても、今日は疲れたバイクでした!

 ありがとうございました。

 

 

 

大火力おどり炊きか、おどり炊きか!

 こんんちは、バイクです!

 自称、篤信のクリスチャンのバイクですが、今日は日曜礼拝からそそくさと帰ってきました。

 新調する電気炊飯器が決まったのです!

 うー、こんな話につきあわされるかー。

 と思われた方、すいません。

 が、今、最先端の『おどり炊き』システムのお話をおみやげに。

 それと、

 Panasonicでは、『可変圧力おどり炊き』、『大火力おどり炊き』と、ふたつのバージョンを発表していますが、そのちがいを書いたWEBサイト、ブログが皆無です。

 で、もし二つの間で悩んでおられる方の一人でもお役にたてれば、とも思ったわけです。

 

 そもそも初めに、電気炊飯器のいのちについて。

 各メーカー共通の三大要素ですが、

 ①炊き方と、②内釜と、③火力システム

 です。

 

 この、①炊き方の現在の花形が、『おどり炊き』なんですね。

 

 そして、②の、炊飯器最大のいのち、内釜。

 これに開発者は内金に心血を注いでいるのですが、

 Panasonicでは、『ダイヤモンド釜』といって、なんと工業用ダイヤを使ったコーティング、(こまかい泡を生み出すらしい)を採用しています。

 

 ③火力システム。

 これは、大量のIH(ヒーターと思ってください)で内釜を全面加熱するのが定番です。

 

 さて、そのうえで、『大火力おどり炊き』と、『一般(可変圧力)おどり炊き』の違いを見ていきましょう。

 

 まず、『大火力おどり炊き』SR-HX109。

 

①これは、Panasonicがもともと持っていた技術で、IHの個所の高速切り替えをもって、お米に強力な熱を通すことによって、

 大粒でふっくらしたご飯

 をめざすらしい、です。

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 ②お釜。

 SR-HXの内釜は、下位機種に使われている『ダイヤモンド銅釜』なる商品ですが、内金はしっかり工業用ダイヤモンドコートされています。

 上位機種とのちがいは、そとがわが、蓄熱めあてのセラミック素材か、またセラミックコーティングか、ということ。

 残念ながら、SR-HXはコーティングです。

 が、釜の厚さは2.3mmと、上位機種なみの分厚さです。

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 さて、本来の『おどり炊き』、SR-PB109です。

 ①、おどり炊き。初めは三洋さんが始めた技術らしいです。

 圧力を可変して、釜内に強い対流をおこし、こめつぶの芯の芯まで水をいきわたらせ、しっとりもちもちしたご飯を目指す炊き方です。

 

 大火力おどり炊きが熱重視なら、可変圧力おどり炊きは水重視ということ(らしいです)。

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 ②釜。

 ダイヤモンドコートは定番です。

 『ダイヤモンド竈釜』と銘打って、セラミック外側をセラミックス素材にしています。

 『ダイヤモンド銅釜』は、セラミックコートでしたね。

 しかし、SRPB109の釜の厚さは、1.7mmと、下位機種なみに薄いです。

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③火力は、両方とも、加熱器を5個使って、釜を全面加熱するシステムです。

 

 というわけですが、僕が選んだのは、大粒ふっくらご飯にあこがれて、『大火力おどり炊き』のほうでした。

 あと、圧力システム付加のより、IHのみで構造が単純な面、こわれにくいかな、という安直な考えもあります。

 

 まあ、なにはともあれ、改心しました。

 今までは、一人暮らしと言うのに、一気に一升炊いて冷凍保存、レンジでチンしていたのですが、こころを入れ替えて、毎日炊き立てのご飯をたべることにします!

 梅干し、のり、明太子、いかの塩辛、なども良質のものをそろえましょう。

 

 そして、なによりもお米。

 うちの近くのスーパーには、あのコシヒカリを超える、『いちほまれ』が売っているのです!

 

 と、「改心」したバイクでした。

 毎日たのしくご飯を炊きませう。

 

 

 

 

 

       

「田んぼ」と「創造」の世界

 おはようございます!

 今日は土曜日ですね。

 仕事休み―!

 みなさんのブログもゆっくり読み、記事も書けます。

 

 そして、今日は神さまもお休みです。

 あまり日本では知られていませんが、キリスト教の兄弟宗教のユダヤ教では、6日間かけて世界をつくられた神さまが休まれた7日目、というのが今日土曜日なんですよ。

(キリスト教では、キリストが復活された日曜日を主日とします。)

 神さまは今日、ゆっくりお風呂に入って、アサヒスーパードライをプシッ!とやられたわけですね(笑)。

 と、悪い冗談ですが、こんなくらい、日常の僕にとって、神さまはやさしく、親しみやすいじょうだ方なんですよ。

 

 が、これは僕が大人になって信仰をもってからのこと。

 僕は、神さまのいない世界も、神が存在する世界も知っています。

 ちょっと僕の大好きなイシドロ・リバス神父さまの引用もさせてもらいながら。

 

 「日本社会の場合には、人間の最終的価値基準は、人間自身や神ではなく、社会なのです。」

 そうですね。

 日本社会というのは、農業のたとえで言うと、人間がみんなで協力し合って、「田んぼ」を作っているんですね。

 目的は、みんなでおいしいお米をつくること。

 そのためには。

 共同作業だから、「和」をみださない。

 仲間や近所、とにかく人間関係を大切にする。

 また、お米作りに役立つものならば、偏見なく、寛容になんでも取り入れる。

 仏教しかり、西洋哲学しかり。

 きまりはみんなで話し合って。

 みんなで決めたことなら、少々間違っていても、それはそれ。あれはあれ。

 美しい自然のなかで、いいお米つくりましょうよ。

 

 ということなんじゃないかと思うんです。

 ここには、ユダヤ・キリスト・イスラームの、絶対的な善悪の基準をふりかざす唯一の神はいませんね。

 ひとつの立派な社会です。

 

 これに対して、神さまの世界をあらわす、最良のキーワードは、「創造」、と言うことだと理解しています。

 僕が、神さまについて、「これだ」、というイメージを持ったのは、「創造」、を通してでした。

 「聖書は、最初の『創世記』から、最後の『黙示録』まで一貫して、神のつくられたものに、がらくたはない、と主張しています。

 まず、神は大自然のすべて、植物、動物、宇宙全体を、大切な作品のようにつくられました。

 そして、大自然のすべてができた時、いよいよ神は人間をつくられたのです。

 ここで、ほかのものをつくったときと違って、人間の創造には、バラ―、という特別な動詞が使われていますが、ひとつひとつが手作りで、こころをこめて、細かく芸術作品などをつくる時の言葉です。

 また、神は、人間に御自分の息を吹きかけた、とあります。

 神は人間に、他の動物のように単に生きるだけではなく、御自分に似た者として、大切に生きてほしくて、息をこめて人間をつくられました。

 そして、すべてをつくられた神は、御自分のすべてのわざを確認され、世界を『良しとされた』と聖書には書かれています。」

 

 これらに優劣はつけません。

 

 どこからきて、どこへ行のかということは明らかにされてはいませんが、「自然」に、「田んぼ」があって、みんなで共同し、しあわせにお米を作っていく。

 そういう共同のいとなみが、四季のめぐりのなかでいつまでも続いていく。

 

 かたや、唯一絶対の神さまが、こころをこめて「創造」されたすばらしい世界。

 ひとりひとりの人間が、個人として価値を持ち、神さまのいのちを生きて行く。

 世界ははじまりと終わりを持ち、直線的な時間を、完成に向かって進んでいく。

 

 僕はそのどちらも生きた勘定です。

 どちらもいい世界と思います。

 が、クリスチャン・バイクとしては、みなんさんも、たまには「創造の世界」もちょっとだけ覗いてくださればうれしいです。

 今日もよき日でありますように。

 

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申し訳ありません、ほんとにどーでもいいお話です。

 こんばんは、バイクです!

 昨日は、超シリアスな記事に付き合っていただいて、本当にありがとうございます。

 今日、臨床心理士の先生に相談してみました。

 よかったですよー。

 

 で、今日なんですけど。

 大変、申し訳ない記事なのです。

 皆さんにとってはどーでもいいことなのです。

 ここで、閲覧中止される方、賢明かもしれませんよ。

 

 さて、そのくだらない記事です。

 

 今朝、電気炊飯器がこわれました(涙)。

 で、カタログだけとりあえずもらってきたのです。

 

 バイクは、結構カタログ大好き人間です。

 これをワクワクしながら見るので、週末は充実したものになるでしょう。


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 なにやら最新の機能は、釜内部の圧力を可変させたり、熱のかかり方を切り替るのを続けて、対流を生ませ、熱を均一にいきわたらせるものらしいです。

 

 大きさは、一人だけど、一升炊き。

 ラップに包んで冷凍するので、一週間にいちど、炊くだけで済みます。

 

 で、お値段は、最上級モデル、112、000円から、なにも特筆すべき機能なしの、22、000円まで。ピンからキリまでですね。

 

 さて、終末の読書の始まりです。

 炊飯器詳しい人がいたらいろいろ教えてくださいね!

 

 さて、今日こんなことにつき合わせてしまってごめんなさい。

 読むだけ、スターだけ大歓迎です。アクセスしてくださるだけで今日はうれしいです。

 みなさんの家の炊飯器が明日も元気で、おいしいごはんたっぷり炊けますように。

 バイクでした!

 

 

 

スピリチュアリティって二つあるの?

 こんばんは。こんなこと書いていいのか、ちょっと迷ってるバイクです。

 かたいお話なのです。ちょっと困っていて。

 

 どうやら僕のこころの中には、二つのちからが働いているのかもしれません。

 

 先週、強度の鬱から救われましたが、それは、前に書かせていただいたような、神話的といっていいほど不思議ないちからでした。

 

 ・一度は滅び、海に沈むも、再生し新たに誕生する太陽。

 ・文明以前の、孤独のない、神々に守られた村の生活。

 

 この二つのイメージが、半覚醒時に圧倒的に浮かんで、目覚めたら部屋中が生命に満ちていました。

 うーん、なんかロールプレイングゲームぽい感じもしますね。

 もうドラクエ・FFなどからは足を洗いましたが(笑)。

 

 とにかくウツは治った!めでたしめでたし。

 と、普通の人ならそうなんですが。

 

 僕はクリスチャンなんです!

 

 なんとなく、(というより大幅に)キリスト教とちがう出来事なのでいささか戸惑っているのです。

 神様につつまれたときのイメージは・・・・。

 

 唯一の神さまからの愛が、圧倒的なちからでわたしをつつみます。

 それはかぎりないいつくしみ、あわれみ、なぐさめ。

 その圧倒的な存在の前では、わたしなどとるにたりない小さな存在であることを思い知ります。

 しかしそれは、ものすごい喜びであり、この愛を知ったら、もう忘れられません。

 これからの生涯は、自分の意志を放棄して、神さまのみこころだけを行っていきたいと思うほどです。

 世界はあたらしく創造されて、しずかな喜びにつつまれています。

 

 という感じですね。

 

 もちろん、唯一の神さまのふれあいが、ぼくのいのちなのですが、なにやら神話的なものが、ちょこっとあるらしい。

 これは、どうしたものかなー。

 ほっとけばいいのか、一つに統合されるべきものか。

 とりあえず、明日カウンセリングで、臨床心理士の先生に相談してみます。

 

 なんか、人間の中には、ひょっともすると、仏教やキリスト教のような、高度に発達した宗教的なものと、原初的な神話のイメージが存在しているのかもしれませんね。

 とにかく、クリスチャン・バイクとしては座り心地悪いです。

 うーん、今日はややこしい記事になってすいませんでした。

 ちょっと背負い込んでしまった人生のテーマかもしれませんね。

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