日本的神さま?
こんばんは、バイクです!
昨日、ちょっと自助グループのことを書かせていただきました。
毎回、いろいろなテーマで話ことがありますが、こんな時もありました。
「自分を超える大きな力って何だろう?」
「自分なりに理解している神さまってなんだろう?」
みんな、よく考え、自分の言葉で話され、大変勉強になりました。
面白いのは、こんな意見が多かったことです。
「やっぱ、人だよ。」
「仲間だなあ。」
「人と人とのつながり。」
中には、「バイク。おまえかたくなに神さんなんか信じず、人を信じなあかん。人間なんや。」とからむおっちゃんまで現れました(笑)。
人。つながり。仲間。
日本人が、自分なりに理解している神って、これかもしれませんね。
人格神だけが神ではありません。仏教のダルマ(法)。道教のタオ(道)。なども広ーく、(人々のよりどころとして)、神さまみたいなものじゃないかと思っています。
そういう意味で、日本人がよりどころとしている、「人」。「つながり」。もそれのうちに含めていいのかも。
そうした社会をささえる道徳は、みんながこころを合わせて作ったきまり、なのでしょう。
しかしその夜、ベッドの中でバイクは、からんできたおっちゃんに少し腹を立てていました。
で、ちょっと「日本の神さま」に文句をつけました。(笑)
「みんなの和を破るときでも、人をたすけなければならない時ってあるよ。」
「人を愛することって、共同体の利益よりも大切じゃない?」
「みんなで決めたことを守る生き方より、人間らしく生きるほうが大切だよー。」
などと、めちゃくちゃ言いがかりをつけてしまったのですが(笑)。こわい(たとえば)ユダヤの神さまみたいな罰は下りませんでした(笑)。
それにしても、僕は日本人であり、クリスチャンであります。
ふたつのアイデンティティを持っています。
この二つを調和させる生き方を模索しています。
また、これが相反する事態になったときなどどう生きるかも。