キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

スピリチュアリティって二つあるの?

 こんばんは。こんなこと書いていいのか、ちょっと迷ってるバイクです。

 かたいお話なのです。ちょっと困っていて。

 

 どうやら僕のこころの中には、二つのちからが働いているのかもしれません。

 

 先週、強度の鬱から救われましたが、それは、前に書かせていただいたような、神話的といっていいほど不思議ないちからでした。

 

 ・一度は滅び、海に沈むも、再生し新たに誕生する太陽。

 ・文明以前の、孤独のない、神々に守られた村の生活。

 

 この二つのイメージが、半覚醒時に圧倒的に浮かんで、目覚めたら部屋中が生命に満ちていました。

 うーん、なんかロールプレイングゲームぽい感じもしますね。

 もうドラクエ・FFなどからは足を洗いましたが(笑)。

 

 とにかくウツは治った!めでたしめでたし。

 と、普通の人ならそうなんですが。

 

 僕はクリスチャンなんです!

 

 なんとなく、(というより大幅に)キリスト教とちがう出来事なのでいささか戸惑っているのです。

 神様につつまれたときのイメージは・・・・。

 

 唯一の神さまからの愛が、圧倒的なちからでわたしをつつみます。

 それはかぎりないいつくしみ、あわれみ、なぐさめ。

 その圧倒的な存在の前では、わたしなどとるにたりない小さな存在であることを思い知ります。

 しかしそれは、ものすごい喜びであり、この愛を知ったら、もう忘れられません。

 これからの生涯は、自分の意志を放棄して、神さまのみこころだけを行っていきたいと思うほどです。

 世界はあたらしく創造されて、しずかな喜びにつつまれています。

 

 という感じですね。

 

 もちろん、唯一の神さまのふれあいが、ぼくのいのちなのですが、なにやら神話的なものが、ちょこっとあるらしい。

 これは、どうしたものかなー。

 ほっとけばいいのか、一つに統合されるべきものか。

 とりあえず、明日カウンセリングで、臨床心理士の先生に相談してみます。

 

 なんか、人間の中には、ひょっともすると、仏教やキリスト教のような、高度に発達した宗教的なものと、原初的な神話のイメージが存在しているのかもしれませんね。

 とにかく、クリスチャン・バイクとしては座り心地悪いです。

 うーん、今日はややこしい記事になってすいませんでした。

 ちょっと背負い込んでしまった人生のテーマかもしれませんね。

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