スピリチュアリティって二つあるの?
こんばんは。こんなこと書いていいのか、ちょっと迷ってるバイクです。
かたいお話なのです。ちょっと困っていて。
どうやら僕のこころの中には、二つのちからが働いているのかもしれません。
先週、強度の鬱から救われましたが、それは、前に書かせていただいたような、神話的といっていいほど不思議ないちからでした。
・一度は滅び、海に沈むも、再生し新たに誕生する太陽。
・文明以前の、孤独のない、神々に守られた村の生活。
この二つのイメージが、半覚醒時に圧倒的に浮かんで、目覚めたら部屋中が生命に満ちていました。
うーん、なんかロールプレイングゲームぽい感じもしますね。
もうドラクエ・FFなどからは足を洗いましたが(笑)。
とにかくウツは治った!めでたしめでたし。
と、普通の人ならそうなんですが。
僕はクリスチャンなんです!
なんとなく、(というより大幅に)キリスト教とちがう出来事なのでいささか戸惑っているのです。
神様につつまれたときのイメージは・・・・。
唯一の神さまからの愛が、圧倒的なちからでわたしをつつみます。
それはかぎりないいつくしみ、あわれみ、なぐさめ。
その圧倒的な存在の前では、わたしなどとるにたりない小さな存在であることを思い知ります。
しかしそれは、ものすごい喜びであり、この愛を知ったら、もう忘れられません。
これからの生涯は、自分の意志を放棄して、神さまのみこころだけを行っていきたいと思うほどです。
世界はあたらしく創造されて、しずかな喜びにつつまれています。
という感じですね。
もちろん、唯一の神さまのふれあいが、ぼくのいのちなのですが、なにやら神話的なものが、ちょこっとあるらしい。
これは、どうしたものかなー。
ほっとけばいいのか、一つに統合されるべきものか。
とりあえず、明日カウンセリングで、臨床心理士の先生に相談してみます。
なんか、人間の中には、ひょっともすると、仏教やキリスト教のような、高度に発達した宗教的なものと、原初的な神話のイメージが存在しているのかもしれませんね。
とにかく、クリスチャン・バイクとしては座り心地悪いです。
うーん、今日はややこしい記事になってすいませんでした。
ちょっと背負い込んでしまった人生のテーマかもしれませんね。