キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

文明以前の物語

 おはようございます。バイクです。

 8月も終わり、秋の夜長、の最初のはじまり?

 今、二冊の本を読みふけっています。

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『日本の深層 縄文・蝦夷文化を探る』梅原猛

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アイヌ神謡集知里幸恵

 

 前者は80年代、「縄文ブーム」を起こした、東北学のさきがけの書。

 後者はアイヌにつたわる神々の叙事詩です。

 

 先日、ひどいウツを、「狩猟採集民族の持つ、文明以前のいのち」、に助けられました。

 どうやら狩猟採集民族の社会には、孤独になやむ人は極めて少なく、うつ病なども皆無に近いらしいです。

 それで、その「文明以前の物語」にふれてみたくなったのです。

 

 狩猟採集民族と言うと、エスキモー、アメリカインディアン、そして日本ではアイヌの人々、アフリカの諸部族などですね。

 そのなかで、神話、叙事詩、などが成文化されて残っているのは、世界でもどうやらアイヌぐらいのものらしいです。

 で、梅原氏によるとアイヌの人々は、日本の稲作以前の、縄文の世界を現代近くまで伝えていたと言います。

 なんと、世界では、縄文式土器より古い土器はまだ出土しておらず、縄文文化というのは、世界最古の文明・メソポタミアより古い文化だと、梅原さんは言い切ります。

 1万2000年前の世界です。

 

 その社会は。

 稲作による農業革命が起こる前ですね。

 必要な物を狩り、必要なもので生活する社会でした。

 収穫物を貯める。貯蔵する習慣ができたのは、みんなでお米をつくり、収穫するようになってからですね。

 刈り入れ、貯め、村ができました。

 それは、人類に安定した生活と、いくばくかの安全をもたらしてくれたのです。

 が、また闇の面も生まれました。

 財産、というものが出来ました。

 それは同時に貧富の差を生み、支配階級の誕生を呼びました。

 人々は、財産を貯めることを覚えたのですね。

 そして貯めた財産を持ち運ぶ必要から、貨幣という厄介なものも生まれたのです。

 また、村同士の戦争も生まれました。

 狩猟時代だったら定住していないので、攻められたらすたこらサッサと逃げ出せばよかったのですが、「村」というものがそれをさせないようにしてしまいました。なぜなら村には大切な「財産」、があるのです。

 

 そして、こういう流れの帰結として、「国家」、という、人類が発明したものの中で、貨幣とならんで良いのか悪いのかわからないものが誕生するわけでした。

 都市国家が生まれ、人間はもう自然におびえることもなく、自然を支配し、良くも悪くも人間は世界の中心になるのです。

 しかし、以前に紹介させていただいた、精神科医岡田尊司さんは、世界の主人公になった人間は、同時に「孤独」も発明した、と言われるのでした。

 

 縄文・アイヌ・は、こうなる前の社会なんですね。

 そこには征服された自然はありませんが、世界の中心でふんばる人間もありません。

 すべてを生み、はぐくむ「自然」が世界だったのです。

 同時に、自然は人間に災厄ももたらしましたが、自然はまた、「人間のエゴイズム」もまた滅ぼしたと僕は思うのです。

 朝、起きると太陽が入ってくる。そこにすで神がいる。

 狩りに集まった人々を、長老たちが祝福する。

 夕餉。かまどの神が家族をなごませ、夜がふけると月が集落を守る。

 ここには近代が生み出した「個人」もないかわりに、「孤独」も「エゴ」もありませんね。うつ病もないわけです(笑)。

 

 とまあ、こんな理想郷ではないですが、ウツもちの僕はこんな社会にちょとあこがれます。

 おもわず長く書いてしまいましたが、ほんとにこころが動いてしまったしだいです。

 僕の信仰するキリスト教とはまた別の世界ですが、立派ですばらしいいとなみです。

 いいですねえ。

 

 しかし、近代人は、この世界に、なんとなく軽い恐怖も感じるのではないしょうか。

 それは、この狩猟採集世界が、農耕と経済と国家によって築かれた、弥生以後の「近代社会」の根底をすこしおびやかすからかもしれません。