キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

決して冷えない愛の誕生

 みなさん、こんばんは。バイクです。

 いやー、昨日はたいへんつらい思いをしました。

 スターやコメントで支えてくださったみなさん、ありがとうございます。

 

 コロナの感染者さんが、いたるところで、差別や迫害にあっています。

 こんなばかなことをやめるにはどうしたらいいか。

 ここで昨日の僕はつまってしまったのでした。

 

 答えらしきものは、僕のなかでありました。

 他者の罪をひきうけて、愛をおこなっていくこと。

 

 しかし、この心境から程遠い自分を感じ、とほうに暮れてしまったのです。

 

 しかし、今日、昨日をふきとばすささやかな体験をしました。

 ひどいセキに苦しむ友人を、自分のうちに受け入れる体験が、あったのです。

 

 ささやかなことでしたが、世界がちょっぴり変わりました。

 この問題、個人から出ずに、自分だけのなかで考えていてもダメだったのですね。

 

 キーワードは、『同胞』でした。

 『同胞』ということぉ考えて初めて、この生き方が

できるのだと。

 

 そうです。

 感染者さんを差別している人を、『同胞』と見れるかが、かなめだったのです。

 友と呼べるかが、カギだったのです。

 

 同胞だから、友だから。

 友のやる、善き子ことも、悪きことも、僕のものです。

 感染者さんへの差別、迫害は、ぼくの友がやっていることなのです。

 僕も悪と無縁では、無いのです。

 

 そう思ったとき、すっと頭がさがりました。

 そしてまた、目の前には、病気でくるしんでいるこれまたかけがえのない友がいたのです。

 

 人間は、すべて連帯していて、同胞なのです。

 

 問題は、この世の悪や罪を、どれだけ自分の問題として考えることができるか、ということだと思うんです。

 

 そして、世界にある悪や、罪を、自分のものとして引き受けることができた時、なぜかその人は、愛の人となるのです。

 

 この世界尾にある悪をわが身に引き受け、わがことのように思って行動し、つぐなっていく人のあるかぎり、この世に愛がたえることはないと、僕は思います。

 

 バイク。