キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

グループをやめてから・・・。

 およそ二か月まえ、所属していたアルコール依存症自助グループを、僕はやめました。

 十年ちかくお世話になりました。

 

 原因は、四年前に発生していました。

 全世界にあるこのグループは、12ステップというプログラムを使って、依存症からの回復を図ります。

 が、わが地方に一つだけしかないわがグループは、12ステップやってなかったのです。

 というのは、20年前うちの地方グループを立ち上げたかたが、ステップをほとんどやったことのなかったらしい。

 で、ステップやらないみたいな、全国でも変わったやりかたになった、らしいです。

 

 そんななか、僕は、このプログラムをやりたくてたまりませんでした。

 が、相談しても、「そんなら他県へ行け。」という返事。

 しかし四年前のある日、「ああ、これなら僕でもステップ12までできる!」という出会いがあり、僕は猛然と勉強をはじめたのでした。

 で、それから一途に、「ステップやりましょうよ。」みたいな発言が多くなっていきました。

 したら、たたかれることになってしまったのです。

 「やりたいのなら、他県に行ってくれ。」とさらに強く、リーダーにいわれるようになりました。

 「ステップなどやるとへんな団体になる。」とも言われました。

 

 うー、日本中がやっている12ステップをなぜやらない。

 「ステップやらないグループなんて、聖書つかわないキリスト教会だよ。」

 と、僕はさらに過熱。

 四年間がんばりましたが、一人の賛同者もなく、僕はへばったのでした。

 

 いちおう、正論なのになあ。

 僕は、怒りに燃え、傷ついていました。

 

 が、尊敬する神父さまの助言が。

 「恨んでいる人や物事のために祈ってみてください。

 本心からでなくてもいいです。

 思いやりと理解が生まれますよ。」

 

 「えーっ、できるかー!」

 と思いましたが、それは尊敬する神父さまの助言、「一応」、やってみたのです。

 

 おお、これは効く!

 

 とまではいかなかったですが、時間も併せて、「怒りに燃えて、傷ついて」いたのが、かなりしずまりましたよ。

 

 正気になって振り返ってみると、かなり「どっちもどっち」ですね。

 むしろ、「正論」をふりまわされた向こうのほうが、被害者意識は強いと思います。

 

 ここが僕は、おろかにわからなかった。

 ひけ目のある相手。未熟な自分。

 それに気づけば、不完全なもの同士、ぼちぼちやって行こう、みたいな方向になっていったかも。

 

 さらに突っ込めば、「今のままではだめですよ。」と、先に足踏んだのは僕のほうかな(笑)。

 

 さてさて、以上のこと踏まえて、僕のこれからの人生の課題は?

 人間って、しょっちゅう、利己的だったり、不正直だったり、身勝手だったり、配慮が足りなかったりするものです。

 そのなかで僕は、自分の思いを通すのに夢中になってしまったようですね。

 いや。

 夢中になるのはいいですが、まわりの人の気持ちや、面子を、無意識のうちにすべてなぎ倒そうとしていました。

 ここから僕は、大きく間違っていったようです。

 

 さてさて、これからどうしようかな?

 ま、とりあえず正気(笑)、にもどったことで、とりあえずよし、かな?。

 

 

自助グループを去らなければならなかったわけ

 こんばんは、バイクです。

 と、なんとも衝撃的なタイトルをつけてしまったものですが、今日は、かつての自助グループに対する、すごい感情に起こされました。

 

 こんな感情もっていいのかわかりませんが、恨み、と言っていいほどの強い気持ちでした。

 

 で、なぜ自分はこのような気持ちに取り込まれたのか、もし自分のがわに問題とするものはないか。

 そしたらそれを乗り越えるには、どうすればいいか、よく考え、まとめてみたいのです。

 3日ほどかかるかもしれません。

 

 ちょっと更新が滞るかもしれませんが、ごめんなさいね。

 

 ご挨拶だけで、もうしわけありません。バイク拝。

僕はクリスチャンじゃないのかも知れない・・・・。

 みなさんこんばんは。バイクです。

 

 とうとつですが、僕は根っからのクリスチャンじゃないのかも知れません。

 というのは、こういう夢をみたのです。

 

 僕は、森から出て、見知らぬ村のはずれにしゃがんでしました。

 すると、田んぼから「地獄の亡者さまご一行(笑)」が出てきて、僕を川に追い落とそうとするのです。こわー。

 僕は思わず、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。」と唱えていました笑。

 

 という夢でした。

 うーん、無意識の底からクリスチャンになるのは、なかなかなのだと、自分の未熟さをさとりましたよ。

 

 こんど、地獄の亡者様ご一行が出てこられたら、「天におられるわたしたちの父よ。」とか、「アヴェ・マリア。恵みに満ちた方。」とか言えるよになっていたいです(笑)。

 

 バイク。

ふるいっ!

 「古いっ!」

 

 みなさんこんばんは。バイクです!

 今日、ことし高校卒業した同僚に言われてしまいました。

 

 何が古いか?

 じゃーん、それは将棋でした。

 「弱いっ!」、ではなく、「古いっ!」と言われてしまったのでした。

 

 二十年ぶりに将棋を指したのですが、これだけブランクがあると、はやりの戦法も変わってしまっているのですね。

 で、高校生君の講釈。

 「もう角道をとめる四間飛車は激減しています。それと、矢倉も、中心的な戦法ではないです。」

 

今、藤井君(藤井二冠と呼ばなきゃいけませんね)で脚光を浴びている将棋界ですが、プロ棋士の命を削るような研究の積み重ねで、将棋の指し方は日進月歩なのです。

 どれくらい研究がきびしいかというと、あの、羽生さん(これも羽生永世七冠と呼ばねば)、は、なんと運転免許を持っていません。

 理由は、タイトル戦などが目白押しで、教習所に通う時間がつくれなかったことと、ほぼ、24時間将棋のことを考えなければならないせいだったと言われています。

 将棋棋士の生活は、大学病院の勤務医なみなんですよ。

 Dr.も、大学病院から帰ってから、深夜二時三時まで勉強、そして朝八時半には外来にでているという医師がほとんどですね。

 そうでないと、世界水準の研究から遅れてしまうのです。

 

 で、勉強しなきゃ、と思って、厳粛に、襟を正して、くだんの高校生君と指しました。

 すると今度は、

 「バイクさん弱いですね!」と言われてしまいました(笑)。

 

 

㊗ゴールドカード!

 みなさんこんばんは!バイクです。

 

 今日は大いにはしゃいでおります!

 

 で、何でっかと言うと、みなにはどうでもいいことですが、

 

 近くのスーパーのポイントカードが、はれてゴールドカードになったのです!

 

 やたー。

 

 いままで200円で1ポイントだったのですが、これからは180円でポイント加算。

 500ポイントで500円のお買物券が当たります。

 すると、土日はポイント5倍デーだから、土日にまとめ買いをすれば、

 

 あっという間にお買物券が当たる!

 

 というわけです。

 

 うー、なんかどーでもいいことで記事を埋め尽くしてごめんなさい。

 

 ちかくにこのスーパーができてから、4年の努力?が実った日なのでした㊗

 

 

 

 

画びょうのような聖書のよみかた

 こんばんは。バイクです!

 更新遅れてごめんなさい。

 今まで、宗教学をやっている友人と話していました。

 

 宗教学というのは、ざっくり言うと、すべての宗教を平等にあつかって、客観的に研究する学問です。

 

 いろいろ話題が出ましたが、一番もりあがったのは、「もし、かりにキリスト教を信じる人が1人もいなくなって、聖書に書いてあることが事実と信じる人が1人もいなくなって、聖書が、『岩波文庫』、『新潮文庫』の一冊にでもなって読まれるようになったら、聖書はどうなるだろう?」というお話。

 

 なんと驚くことに、(クリスチャンはなお驚きますが)、さらに真価を発揮するだろう、みたいな話になりました。

 

 クリスチャンは、聖書の出来事は事実だと信じています。

 僕もその立場をとっています。

 

 しかし、まったく事実でなくとも、読む人の人生を変えたり、感動を与えたりするとも、僕はおもっているのです。

 ノアの洪水の文明批判。バベルの塔の科学技術への警鐘。

 ヨブ記の、人間の苦悩への考察。

 ソロモンの、人生すべてへの知恵。

 などなど、キリスト抜きでさえ、深い内容を持っているのです。

 

 思い切っていってしまうと、仮に、聖書が全く事実でなくても、ぜんぶ作り話でも、ひとは救われます。

 ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』や、太宰治の『人間失格』が読む人の人生を変えてしまうように。

 

 「えーっ、福音は?永遠の命は?」と言われそうですが、そう言った、信仰の読み方を超えて、教会をこえて、聖書は広いと思うのです。

 「本来の読み方」、「救い」、ということに縛られると、聖書は狭くなってしまうと思うのです。

 本来いろんな読み方に耐える、ひろーい書物と思っています。

 

 ちょうど画びょうを逆さにたてたような形ですね。

 信仰の針の、教会の読み方を、大きく広がった、普通のひとの読み方が支えている。

 

 そんな形を、バイクだけの個人的な意見として、あくまで個人的な意見として持っています。

 教会も、信仰書のよみかただけを伝道するのではなくて、多くのひとの多様な読み方をはぐくむ方向性もあってもいいのではないか、と思ったりするのです。

 

 オリンピックの競技と一緒ですね。

 競技人口が広いほど、専門の選手もレベルがあがり、競技全体も健康になる。

 

 聖書を、信仰の枠をはなれて自由な心で読む人が増えたら、地球も楽しいな。

 

 今日は夜更かしのせいか、牧師先生にまず怒られるようなことを考えてしまったバイクでした。

 信仰の同胞、クリスチャンのみなさんも怒らないでね。

 

 

  

 

 

 

トランプさん、なおって!

 こんにちは、バイクです!

 今作業所から帰ったところですが、帰りの電車のなかで、携帯にニュースの着信。

 「トランプ大統領感染!」という記事でした。

 

 反響を見ると、「米中関係はどうなる」、「大統領選にどう響くか」、という投稿で埋め尽くされていました。

 

 が、バイク的には、病人を見つめたいです。

 

 病人に、職業も、社会的地位も、あまり関係がありません。

 トランプさんという人間が厄介な病気にかかった、ということだけです。

 たまたま、その患者さんが、社会的に影響力の高い職業だったというだけです。

 

 おりしも、亡くなった志村けんさんより高齢。

 ただ重症化しないことを祈るのみです。

 

 今、世界ができる、いや、しなければならないことは、Tさんというひとりの高齢者の回復を祈ることでしょう。

 そして、かれだけでなく、地球上の、重症化しやすいすべての感染者さんをこころにとめることだと、僕は思うのです。

 

 大統領選がどうなるかなどより、Tさんの、無念だったり、淋しかったりするこころを感じ取ることのほうが、人間として大切なのではないでしょうか。

 

 バイク。