キリスト時々アルコール

コロナの中、自分も社会もがんばれるようにつづっています。

楽になったカエル。

 こんばんは、バイクです。

 今週は、いろいろなことがありました。

 うー。しばらくブログネタにこまらん。

 

 まずは、僕がカエルになったおはなし。

 

 パニックになって、再飲酒しちゃった事件、僕にとってはかなりショックでした。

 それまで持っていた自信や自尊心、誇りといったものは跡形もなくくずれてしまったのです。

 それはそう、新しい職場で、同僚全員がこわくなり、パニックをおこして、あろうことかアルコールに逃避した、というはずかしい出来事だから。

 

 しかし、いつもの友人との対話で、人間関係や、パニックが原因ではないと、いうことがわかってきました。

 どれも、自分の本当の姿を見ないための言い訳だと。

 「今回の事件の背後には、バイクさんの『人間いたいする恐れ』、『社会に対する恐れ』がある。」と友人はいいました。

 

 自尊心が消えて、素直になっていた僕はうなずきました。

 

 が、次がとどめ。

 「バイクさんは、『井の中の蛙』だったんだよ。

 12ステップやキリスト教の事など、一番知ってるみたいな顔してて。」

 

 普段いわれたら反発していたでしょうが、反抗心などとっくになくなっていたので、これもまた、すなおに入ってきたのです。

 

 入ってきた。

 すなおに入ってきました。

 すると、なぜかからだが楽になりました。

 

 キリスト教のことならだれよりも知ってる。

 AAのことならだれよりも知ってる。

 これが僕のおおきなプライドでした。

 生きる支えであり、これがなくなったら生きていけないと思っていました。

 

 これがくずれた。

 

 ら、意に反して、楽になりました。

 

 優秀だったバイクは、カエルになったのです。

 

 「これだけは。」と思っていたものがなくなると、楽になると知りました。

 

 自己卑下でなく、自分は井の中の蛙ということを自然に受け入れると、かわるものです。

 大きく見せる必要なんてない。

 カエルのように小さい自分でいいんだ。だってそれが本来の僕の姿だったのですね。

 

 余分なものがなくなったあと、いろいろなものが、ぼくの中に入ってくるようです。

 

 バイク。

 

 

 

シッダールタの生涯

 こんばんは!バイクです。今日は思うところあって、色なしです。

 

 たいへんな小説を読んでしまいました。

 端折って言うと、主人公シッダールタはラストで、人間をこえた存在になります。

 

 あらすじは次のようです。

 古代インドの祭司の子、シッダールタは、幼いころから高い霊的ステージにあったが、祭司の奥義の欠陥を知り、より完全な存在になるために苦行僧のなかに身を投ずる。

 その成果、シッダールタは理論的にすべてを知る。

 世界でもっとも完全な人・ゴータマ(釈迦)に迫るほどのステージに到達する。

 しかしシッダールタは、釈迦の弟子になることさえ拒否して、僧から出、世に入っていく。

 俗人シッダールタには、愛人との交わりも、金儲けも、賭博も、みな修業だったが、やがて真理も高いステージも忘れ、完全な俗人になってしまう。それもほかの俗人と違って、愛のない俗人に。

 また、老いもやってきて、シッダールタも絶世の美女だった愛人も衰える。

 あわれな存在になったシッダールタは、すべてを棄てて、川のいち渡し守になり、人を渡すだけの生涯にはいる。

 こんどは、祭司や、苦行僧や、愛人、商人が先達ではなく、同じ渡し守の相棒と、川の声だけが師となった。

 川の神秘的なちからによって一度は聖者となりかけるが、愛人に産ませた子につまづく過程で、愛を持った愚者に、シッダールタはなってしまう。

 そのまま、愚者のまま更に年老い、人生も終わりに近づいたころ、かつての親友の修行僧が、シッダールタ額にふれると、彼は自己のうちに全世界をやどす存在になっていた。

 

 というお話しでしたが、いや、なかなか身に沁みました。

 一週間前のぼくだったら、「冗談じゃない。」と、シッダールタの人生を否定(半分怯えながら)していました。

 が、ある事件があって、僕は全国区でも通用する(と思っていた)AAマン、どこの国に行っても大丈夫な(と思っていた)カトリック教徒、という思い上がりが砕かれてしまったのです。

 僕はシッダールタのように「没落」しました。

 祭司、苦行僧の中で得た知恵が、世間で全く通用せず、どんどんあわれで愚かな境遇になっていくシッダールタに重なっちゃいました。

 そしてシッダールタの人生は最後で大逆転がありましたが、僕は愚かなままです。

 

 しかし、大逆転はなくてもいい。

 これまでずいぶんと愚かなことや、思いあがったことばっかりやってきたから、愚かなままで(一生?)いてもいいかな、と。

 

 今の僕の状況にぴったりの、もしかすると神さまがあたえてくれたような一冊でした。

 

 

 

夜の中へ

 こんばんは。バイクです。

 今日なんと、作業所で時間中眠ってしまいました。

 原因は、昨日徹夜で読書したからです。

 あかんねー。

 

 で、今日はしっかり健全な時間に。

 

 今日もくだんの書店にいってきましたよ。

 夕ご飯のあと、散歩代わりによくいきます。

 ほとんど立ち読みー。

 

 よく読むのは、かわったことに、文庫本の『あとがき』、『解説』でっす!

 これ、結構楽しいんです。

 大体の内容がつかめるし、その作品が著者の中でどんな位置を占めているか、傑作か失敗作か、解説者の性格が善いか悪いか(笑)。

 

 しかし、昨日に引き続いて、購入しました。

 仏陀と同名の主人公のこころの深化の物語で、最終的には完全な「自己放棄」にいたる、高い境地が描かれているそうです。

 

 自己放棄。

 

 ちょっと怖いようですが、惹かれました。

 

 また、なんか惹かれて、訳違いで二冊買ってしまいました。

 

 なんでこんなに魅かれたのでしょう。

 

 それは、現在の僕が、自信、自尊心が低下して、自分というものを持て余しているからかもしれません。

 自暴自棄になって、「自分よ、消滅してしまえ。」、「もう、人間やーめた。」と言うこともできますが、どうせ自己を投げ出すなら、一筋でも希望のあるほうを選びたいものです。

 

 自信、プライド、自尊心。

 社会的に生きるために必要なものを全て放棄したとき、人間はどうなるか?

 半分怖いもの見たさで、見てみたいですね。

 人間として駄目になるのか。人間をこえた存在になるのか。


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げんきになるため武士道を学ぼう!

 こんばんは、バイクです!

 今日はちょっと忙しかったです。

 作業所のあと、訪問看護、ホームヘルプ。

 で、夕食のあと、県内最大の本屋に行って、買ってきました。 


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 元気になるため、ブシドーを学ぼう!

 

 ドストエフスキーの次に僕が愛す、鴎外の『渋江抽斎』です。

 読んではなくし、読んでは痛み、今日買ったので4代目。

 元気になろっと。

 

 しかし、これを書いた、森鴎外は、元気な人生だったかなあ?

 生きているときはまさに超人。

 軍医総監。陸軍中将。帝室博物館総長。文学・医学博士。そして明治最大の文豪。

 医師としても、軍人としても、官僚としても、そして作家としても、それぞれの道で頂点に上り詰めた巨人です。

 

 が、亡くなる時は、「墓には、余は岩見人、森林太郎として死せり。とだけ刻め。」

 と言い、「馬鹿馬鹿しい。」と言って死んだそうです。

 

 肩書・地位など、鴎外は重荷だったのか?それともいらなかったのか?また無意味と感じていたのか?

 それとも、「はだかの人間」としての強靭な生き方だったのか。

 

 さきほど、くだんの友人と話しましたが、

 鴎外は、最大の絶望者か、最強の強い生き方をした人間か、どちらかだろうね、と意見しあいました。

 

 僕としては、後者を信じたいです。

 現時点、ちょっと絶望していますが、信じたいものだと思っています。

 

 みなさんは、どちらですか?

 

 バイク拝。

 

苦しんだあとの最後の祈り

 こんばんは、バイクです!

 昨日、アルコールでの危機を、友に助けられて、一夜明けました。

 

 まだ疲れが少し残っているようで、教会のミサが終わったあと、ずっと今日は横になっていました。

 とろとろと寝ても寝ても、まだ眠かったです。

 

 が、ついさっき目覚めると、疲れは癒えていました。

 

 さっそくちょっとたまっていた洗いものをかたづけ、明日収集の燃えないゴミをしばる。

 すっきり。

 こよい、あとはお風呂はいって洗濯するだけですよ。

 

 そんななかで、祈りということを考えました。

 9月以来のバタバタで、いつしか狭くなっていたぼくのこころは、「恐れ」を生み出し、それから逃れようとして、僕は飲酒ににげたのだ。

 もっと広い、解放されたこころと、他者への祈りが必要だ。

 ちっぽけな自分をこえて・・・・・。

 ここで、「神」という言葉を使ってしまうと、日本ではアレルギーを起こす人がいるので、ノンクリスチャンにも通ずる表現で言うと、

 人間の知性を超えた、宇宙の製造者。

 地上の全てのものを慈しんでいる、存在そのもの。

 遠い昔、人間に愛するということを教えた方。

 と言いましょうか。

 そう言った唯一絶対の存在が、ひとりひとりの人間、生き物を慈しんでいる、と僕は信じているのです。

 

 

 主よ、私の自由をあなたにささげます。

 わたしの記憶、知恵、意志をみな受け入れてください。

 わたしのものは、すべてあなたからのものです。

 いま、すべてをあなたに捧げ、みむねにゆだねます。

 わたしに、あなたの愛と恵みをあたえてください。

 わたしはそれだけで満たされます。

 それ以上何も望みません。

 

 天のきさき、おとめマリア。

 わたしは、あなたのとうといご保護にすべてを委ね、

 生涯のすべての日々、

 とくに臨終の時に、わたしの身も心も、

 慈しみ深い御手にゆだねます。

 わたしは、すべての希望と喜び、困難と悲しみ、

 一生と最期をあなたにささげます。

 御取次によって、わたしのすべての行いが、

 あなたと御子のみむねにかなうよう、導いてください。

 

 こよい、すべてがよくありますように。

 すべての人が、よくありますように。

 

 もしわたしの敵がいても、かれらもまた、しあわせでありますように。

 かれらの家族も、こよいしあわせでありますように。

 

 

 

 

 

スリップ・友・音楽

 こんばんは、バイクです!

 更新おそくなってすいません。

 今まで、友達の家で話し込んでいました。

 

 うーん、飲んじゃったのです。

 僕はアルコール依存症だから、お酒は一滴でも禁物ですね。

 だが、昨日かな。

 職場の友に、これまた職場のなやみを、(電話で)話し切ったあと、気が抜けました。

 一挙に意気地がなくなってしまって、手元に用意してたウイスキーを、口につけました。

 

 ・・・・・・。

 

 一晩かけて、一本からにしました。

 明け方、とろとろと寝て、起きると、すごい頭痛と、パンパンの肩。

 

 このままでは、だめになるな。

 で、思い切って昨日のともに打ち明けたのです。

 

 そうしたら、

 「体が治ったら、うちにおいでよ。」

 と言ってくれました。

 

 3時ごろ、肩などが楽になったので、大雨警報の中、友の家へ。

 

 友は、いきなり本筋には入らずに、好きなスピーカーを紹介。しばらく洋楽を二人で聞きました。

 

 「100回失敗しても、101回立ち直ればいいよ。」

 

 5曲目終わったころ、彼は言いました。

 

 それから、話は深くなって。

 

 ・・・・・・。

 

 人間関係が問題ではないと。

 その背後にある、人間への「恐れ」。社会への「恐れ」。

 これが、僕を追いこんだのだと。

 

 そのあと、夕食を食べて、二人でまた音楽を聴きまくりました。

 クラシックから、ロックまで聞きつづけましたが、最後に友がかけた奥田民生に力づけられました。

 

 この、自分の中にある「恐れ」と、どう向き合っていくか。

 明日からの課題ですが、今日一番のことばが、心強いです。

 

 「100回失敗しても、101回立ち直ればいいさ。」

 

 

典型的日本人!?

 今日、ふと死んだじいちゃんのことを思い出しました。

 

 すごい物事に寛容な人で、「みんな同じじゃよ。」と言うのが生前の口ぐせでした。

 が、そんな祖父もきれることがあって、その時は、「あいつは変わっとる」というのも口ぐせでした。

 怒るときは、「常識だろうが!」と怒っていました。

 

 うーん、豊かな包容力にあふれていた爺ちゃんで、尊敬は変わりませんが、これって、典型的な日本人?かな?

 

 すっごい寛容なんです。

 宗教で言えば仏教良し、神道よし、無宗教よし。

 あらゆるものを温かく包む日本の姿ですね。

 

 しかし、問題は、また連発していた「あいつは変わっとる。」と言うセリフです。

 どうしても、自分のうちに取り込めない事物にたいしたとき、意外と不寛容!

 

 ここに、日本の現時点の限界も出ているように、今の僕は思います。

 

 受け入れられる事物に関してはすごい寛容なんだけど。

 ひとたび受容できないと、排他的になってしまう。

 

 そしてその根拠は、「みなが信じていることと違う。」

 

 僕の愛している日本、すべてのものに寛容な日本。

 が、最後の最後で真の寛容には達していないのかもしれません。

 

 そして、現在では、日本の風土に異質な人たちも、おおくなった。

 ユダヤ・キリスト・イスラームをはじめとする一神教がいい例ですね。

 

 これらにも、日本が寛容になれるかどうかが、日本が真の寛容な社会になれるかという試金石だと思うのです。

 

 僕は日本が好きですから、そういう社会になって欲しいですね。

 

 バイク。

 

 うー、なんか爺ちゃんの思い出から、日本の課題まで、飛んでしまいました。