シッダールタの生涯
こんばんは!バイクです。今日は思うところあって、色なしです。
たいへんな小説を読んでしまいました。
端折って言うと、主人公シッダールタはラストで、人間をこえた存在になります。
あらすじは次のようです。
古代インドの祭司の子、シッダールタは、幼いころから高い霊的ステージにあったが、祭司の奥義の欠陥を知り、より完全な存在になるために苦行僧のなかに身を投ずる。
その成果、シッダールタは理論的にすべてを知る。
世界でもっとも完全な人・ゴータマ(釈迦)に迫るほどのステージに到達する。
しかしシッダールタは、釈迦の弟子になることさえ拒否して、僧から出、世に入っていく。
俗人シッダールタには、愛人との交わりも、金儲けも、賭博も、みな修業だったが、やがて真理も高いステージも忘れ、完全な俗人になってしまう。それもほかの俗人と違って、愛のない俗人に。
また、老いもやってきて、シッダールタも絶世の美女だった愛人も衰える。
あわれな存在になったシッダールタは、すべてを棄てて、川のいち渡し守になり、人を渡すだけの生涯にはいる。
こんどは、祭司や、苦行僧や、愛人、商人が先達ではなく、同じ渡し守の相棒と、川の声だけが師となった。
川の神秘的なちからによって一度は聖者となりかけるが、愛人に産ませた子につまづく過程で、愛を持った愚者に、シッダールタはなってしまう。
そのまま、愚者のまま更に年老い、人生も終わりに近づいたころ、かつての親友の修行僧が、シッダールタ額にふれると、彼は自己のうちに全世界をやどす存在になっていた。
というお話しでしたが、いや、なかなか身に沁みました。
一週間前のぼくだったら、「冗談じゃない。」と、シッダールタの人生を否定(半分怯えながら)していました。
が、ある事件があって、僕は全国区でも通用する(と思っていた)AAマン、どこの国に行っても大丈夫な(と思っていた)カトリック教徒、という思い上がりが砕かれてしまったのです。
僕はシッダールタのように「没落」しました。
祭司、苦行僧の中で得た知恵が、世間で全く通用せず、どんどんあわれで愚かな境遇になっていくシッダールタに重なっちゃいました。
そしてシッダールタの人生は最後で大逆転がありましたが、僕は愚かなままです。
しかし、大逆転はなくてもいい。
これまでずいぶんと愚かなことや、思いあがったことばっかりやってきたから、愚かなままで(一生?)いてもいいかな、と。
今の僕の状況にぴったりの、もしかすると神さまがあたえてくれたような一冊でした。